萩原慎一郎『滑走路』31文字の詩に託した想いといじめと死

歌人萩原慎一郎氏をご存知でしょうか?

2017年6月8日に32歳で自ら命を絶ちました。

学生時代のいじめによる精神的不調、そして非正規社員として働いた日々。

非正規社員として働きながら日々の想いを詠んだ短歌に多くの人が共感を覚え、歌集の発行部数は異例の2万部を超え、歌集の通常発行部数の200倍に達しました。

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NHKクローズアップ現代で特集されました

「サラダ記念日」の大ブームから30年、平成の時代をうたった一冊の短歌集がいま大きな話題を集めている。作者は萩原慎一郎さん、去年32歳で自ら命を絶った。学生時代のいじめ、その後の精神的不調そして非正規として働いた人生・・・。過酷な日々とともに夢や恋も歌にした。発行部数は通常の歌集の200倍に達している。自らも感銘を受けたという又吉直樹さんとともに、萩原さんが残そうとしたメッセージに迫る。

引用;クローズアップ現代

萩原慎一郎氏のプロフィール

名前:萩原慎一郎(はぎはら しんいちろう)

生年月日 :1984年9月16日

没         :2017年6月8日(32歳没)

職業      :歌人

学歴      :武蔵中学校・高等学校卒業

最終学歴:早稲田大学卒業

共感する作品の背景

1997年に第一志望の私立中高一貫校であった武蔵中学校に入学しました。

その中一の時からいじめを受け、つらい経験をしました。

高校でもいじめは続き、心は傷つき大勢の前に出られなくなりました。

そして卒業後は精神科に通院しながら、早稲田大学通信制大学で6年間学び卒業しました。

就労支援施設にも通って27歳で働きはじめました。

その仕事は倉庫管理や事務員などの非正規雇用の仕事でした。

萩原慎一郎さんの母の手記
「慎一郎は、中学受験で第一志望校に合格して、部活は大好きな野球部に入った。
しかし、監督から怒鳴られ、おどおどして萎縮している様子を真似して度々からかわれた。
野球部が終わると、必ず通学カバンがゴミ箱、掃除用具入れ、トイレ等に放置された。
『生きている価値がない』『顔が気持ち悪い』というような暴言や暴力が続いた。」

引用;(NHK)NEWS WATCH9

とても悲しいですね。

些細なことからいじめが始まります。

そしていじめた側は大したことをした覚えはなく、いじめられ側は心に大きな傷を受けます。

おそらく一生直らず、引きずっていきます。

いじめにより野球部を退部した後、萩原さんは自分の部屋で読書に没頭するようになります。

萩原慎一郎さんの母の手記
「そのころ短歌に出会った。
立川市の書店で俵万智さんのサイン会。
それから短歌雑誌の投稿を始めた。」

引用;(NHK)NEWS WATCH9

『サラダ記念日』で有名な俵万智さんに刺激を受け、高校2年の秋に短歌に目覚めました。

自分の気持ちや考えを「五・七・五・七・七の5句31音」に乗せて表現する短歌に魅力を感じたのでしょう。

高校卒業した後も萩原さんはいじめの後遺症に苦しみました。

大勢の前に出ることができなくなり、精神科に通う日々が続きました。

通信制の大学を卒業した後、27歳の時に非正規の仕事に就きました。

萩原慎一郎さんの母の手記
「仕事は事務センター所属で、コピー用紙の交換、シュレッダー、広報紙の発送の手伝い、資料の整理などだった。
仕事は一生懸命していたが、時々帰宅後『僕も病気にならなければ』と辛くなることもあった。
非正規雇用であり、いじめが原因の精神的な不調のために、自分が望んでいた仕事につけない悔しさは、時々話していた。」

引用;(NHK)NEWS WATCH9

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華々しく輝かしい受賞暦

萩原慎一郎
出典;(NHK)NEWS WATCH9

角川全国短歌大賞・角川全国俳句大賞

2013年 俳句大賞 東京都賞受賞
短歌大賞 与謝野晶子短歌賞姉妹賞、東京都賞、特選受賞

2014年 短歌大賞 準賞、特選、秀逸受賞

2015年 短歌大賞 秀逸受賞

2016年 短歌大賞 佳作受賞

2017年 短歌大賞 題詠準賞、東京新聞賞、秀逸受賞

全日本短歌大会
2004年 学生の部B 佳作賞受賞

2005年 日本歌人クラブ賞受賞

2011年 優良賞受賞

2013年 優良賞受賞

2015年 毎日新聞社賞受賞

2016年 日本歌人クラブ賞受賞

NHK全国短歌大会

2014年 第1回近藤芳美賞 選者賞『滑走路』受賞

2016年 特選(馬場あき子選)受賞

2017年 第4回近藤芳美賞 選者賞『プラトンの書』受賞

このように数多くの受賞をして将来を期待された若手歌人だったことがわかります。

作品の一部紹介

“現実に食われてしまいし夢もあり グローブ捨てて鉛筆握る”

”夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから”

“コピー用紙補充しながらこのままで 終わるわけにはいかぬ人生”

“消しゴムが丸くなるごと苦労して きっと優しくなってゆくのだ”

“かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む”

萩原さんは、自ら命を絶ちました。
亡くなったその日も、短歌を作っていました。

“あらゆる悲劇咀嚼しながら生きてきた いつかしあわせになると信じて”

ごく一部の作品を紹介しました。

皆さん、何を感じますか?

NHKクローズアップ現代に出演した又吉直樹さんのコメント

「すごくむずかしくて、ボクもちゃんとわかってないが、でも、(萩原さんは)毎日戦って、そういう夜を乗り越えていったと思うんです。もしボクが同じような状況になったときに、萩原さんの歌に苦しみと戦うためのヒントがあるんじゃないかと思ってます」

“夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから”

又吉さんが気になった歌はこれだと思います。

ネットの声

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